本やパソコン、果ては街の看板まで、
あらゆるところで文字が使われています。
この文字は、それぞれ
「デザイン」している人がいる、
というのをご存知でしょうか。
そんな、文字の集まりである書体
(フォントとも呼ばれます)
をデザインしている、
鳥海修さんのお話をお聴きしました。
書体デザイナー鳥海修さん
鳥海さんは、山形県のご出身。
その名と同じ字を書く、
鳥海山を望む
山と田園に囲まれた地で
育ちました。
ご自身いわく、
「あまり勉強をしなかった」結果、
2浪の末に多摩美術大学に入ったものの、
入れたのはグラフィックデザイン科。
その「グラフィックデザイン」には、
いいイメージを持っていなかったそうです。
というのも、
企業の宣伝に使われるものなんてやりたくない!
と思っていたから。
なぜ企業の宣伝に悪いイメージを
持っていたかというと、
『苦界浄土』という本の影響でした。
この本のテーマは、水俣病。
各地で公害病が騒がれていた当時は、
鳥海さんが暮らす地域でも
農薬が大量に使われていて、
害虫どころかドジョウが姿を
消してしまったほどだったとか。
そんな時代、利益優先の企業のための
デザインなんてしたくなかった。
書体デザインとの出会い
そんなある日、授業の一環で
毎日新聞社を訪問します。
印刷には活字が使われていますが、
それをデザインする人がいた。
「文字を人が作っている!」
ということに、まず驚いたそうです。
そして、そのデザイナーの方が
語った言葉に強く打たれました。
「文字は人にとって、〈水と米〉である」
つまり、生きていく上で
なくてはならないもの、
という意味でした。
その結果、文字をデザイン
することにした鳥海さん。
卒業後は、写研という会社に入りました。
そのころ、印刷には写植というものが
使われていました。
「写植」は写真植字の略。
1文字1文字が彫り込まれた
活字を並べて作っていた金属活字に対して、
文字の形の溝が並んでいる
文字盤に光を通して
写真のように焼き付けることで、
印刷の文字部分を作っていたのが
写植でした。
文字の大企業「写研」
写研は、当時日本の写植文字の8割を
担っているとも言われた大企業でした。
実は今回の講演、
株式会社モリサワで行われた
「Font College Opne Canpas」
という一連の講演の一つでした。
そしてそのモリサワは、
もう一つの大手写植ベンダーでした。
もともと写植は日本では、
写研の創業者である石井茂吉と、
モリサワの創業者である森澤信夫が
共同で開発していました。
それが袂を分かつことになり、
別々の会社になっていたのでした。
「文字の写研」「機械のモリサワ」と言われ、
それぞれ大きな影響力を持っていたのですが、
文字の広がりは写研が圧倒的でした。
『大漢和辞典』という、
全15巻に及ぶ漢和辞典の大帝国
のようなものがあります。
その制作者である諸橋轍次から依頼を受けて、
印刷用の文字を作ったのが写研の石井でした。
ほぼ一人で製作していた石井は、
他の仕事に手が回らなくなるため
初めは断っていたそうですが、
結局引き受けました。
そうして作られたために、
「石井明朝体」には
5万字もの漢字が収録され、
それは当時、東洋一と言われました。
そんな流れもあり、写研の文字は
一世を風靡したのでした。
表に出ないものをデザインする
そんな、文字に秀でた企業である
写研に入った鳥海さん。
表に出ないグラフィックデザインとして、
水のような、さらには
空気のような存在として、
目立つタイトルや見出しの文字ではなく、
本文に使われる文字を作りたいと
思っていました。
そうして、写研を独立する
鈴木勉氏らとともに立ち上げたのが、
「字游工房」。
ここで、「ヒラギノ」という
書体のシリーズを作っていく
ことになります。
ヒラギノは、MacやiPhoneなど
Apple製品にも採用されており、
気づかずに当たり前のように
目にしている人もたくさんいると
思います。
ただヒラギノは、依頼を受けて
製作した書体だったため、
鳥海さんたちには権利が
ありませんでした。
そこで新たに作ったのが、
游明朝体。
この書体は作家・京極夏彦氏の目に留まり、
『姑獲鳥の夏』に採用されました。
京極氏といえば、本の見開きで
言葉が途切れないよう、
本来印刷会社などに任される
「組版」も自ら行う、
というこだわりでも知られる人。
その結果、書籍の帯には
「読みやすい書体。美しい版面。」
というキャッチコピーが記され、
「職人たちの業の集大成」という
位置付けがされたほどだったとか。
拡大教科書のための文字
字游工房ではその後、
遊教科書体も作成されました。
それは、教科書制作会社からの
「DTP化」、つまりデジタルで
作れるようにしたい、という
強い要望があったためでした。
教科書には「拡大教科書」
というものがあります。
これは、弱視やその他の理由で、
通常の教科書では文字が小さくて
うまく読めない子供達のために
作られるもの。
これらはかつて、
使う教科書が決まった後、
それを必要とする子供の母親たちが、
自ら作っていました。
DTP化が実現すれば、
教科書が完成すればすぐに、
大きな文字の教科書作成に
着手できます。
教科書体は、文字通り
教科書に使われる書体。
活字特有の形をしている
明朝体などと違って、
子供たちが鉛筆で、
その通りに書けることを
目指した文字でした。
ところがかつては、
「書写の教科書に載っている文字と違うじゃないか!」
というクレームが来ることが
あったそうです。
そこで鳥海さん、
書写の教科書に
その手書き文字を提供している
平形 精一氏に依頼。
その文字をベースにして、
游教科書体を制作したそうです。
42年ぶりの続編にも
42年ぶりに続編が発売された
黒柳徹子さんの『続 窓ぎわのトットちゃん』には、
「文游明朝体+文麗かな」という
書体のセットが採用されました。
もともとこの書体は、
「近代文学向けの書体を作ってほしい」
という要望を受けて作ったもの。
その際に提示されたのは、
夏目漱石の『こころ』
だったそうです。
ちなみに前作に当たる
『窓ぎわのトットちゃん』では、
漢字等は石井中ゴシック、
かな文字には、当時の学生たちが作った
「タイポス」という書体が
採用されています。
本文には明朝体を使う、
というのが当たり前の時代。
ゴシック体をベースにしたこの本は、
戦前・戦中を舞台にしていますが、
主人公は小学生。
その幼さや子供ならではの
雰囲気を表すのにふさわしい、
と思われたのかもしれません。
その後、本文は明朝、
見出しはゴシックという定番を崩した
「多書体化」が進んだとのこと。
続編は明朝体ベースですが、
主人公が成長した雰囲気を
表しているように感じられます。
時には空気のような存在を意識する
書体を作る人生を歩んできた鳥海氏は、
マンガのキャラクターにもなっています。
マンガ編集者を主人公とする
松田奈緒子さんの『重版出来!』で、
その参考とするため
作者の取材を受けたそうです。
2時間にもわたって熱く語った結果、
第10巻で鳥海さんが作った
「垂水かな」と共に
紹介されているとのこと。
書体デザインに関する著作も
いろいろありますが、
まずはこちらからご覧いただくと、
鳥海さん、あるいは書体デザインという
お仕事に対しても興味が
深まるかもしれません。
鳥海修『明朝体の教室──日本で150年の歴史を持つ明朝体は どのようにデザインされているのか』[Book&Design]