活字とDTPの間──写植の歴史を振り返る

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「写植」というものがあります。
「写真植字」という言葉の略で、
光学的に映し出した文字を、
印画紙に焼き付ける装置です。
これはもともと、
活版活字に代わるものとして
登場しました。
「活字」というと、
いわゆる本など文章が
きっちり書かれたものを
指すことが多いですが、
本来の活字というのは、
1文字1文字が刻まれた
「ハンコ」のことです。
これをたくさん集めて本のページ、
あるいはそれ以上のものにまとめたのが
活版です。
ちなみに活字については、
宮沢賢治の小説『銀河鉄道の夜』にも
こんな場面が登場します。
 ジョバンニはすぐ入口から三番目の高い卓子テーブルすわった人の所へ行っておじぎをしました。その人はしばらくたなをさがしてから、
「これだけ拾って行けるかね。」と云いながら、一枚の紙切れをわたしました。ジョバンニはその人の卓子の足もとから一つの小さな平たいはこをとりだして向うの電燈のたくさんついた、たてかけてあるかべの隅の所へしゃがみむと小さなピンセットでまるで粟粒あわつぶぐらいの活字を次から次と拾いはじめました。
(宮沢賢治『銀河鉄道の夜』(青空文庫)より転記)
読んでいて何の場面かわからなかった方も
いると思いますが、紙面の文章の元になる
文字を拾い集めているところです。
さて、活字は文字の大きさに応じて、
すべての種類を事前に
用意する必要があり、
もともと文字数の多い日本語では
対応するのが大変だったようです。
これに対して写植なら、
1種類の文字のまま、
投影するレンズを変えるだけで
大きさを変えることができるため、
大きなメリットがありました。
もともとは活字の書体をベースに
作られていた写植でしたが、
問題もありました。
文字が大きくなるにつれて
太さやバランスを変えていた
活字に対して、
どんな大きさでも
対応できる写植は、
汎用的な書体を必要としていたのです。
そのため、開発者たちは
大きな苦労を強いられました。
日本で写植を開発したのは、
現在もフォントベンダー、
つまり書体を供給する
大企業として知られている
モリサワの創業者・森澤信夫と、
かつて一世を風靡していた
写研の創業者・石井茂吉でした。
早くに創業者を亡くし、
現在主流の「DTP」、
パソコンによる印刷物作成に
乗ることができなかった写研と、
もともと遅れをとっていたものの
DTPの隆盛に乗ったモリサワとでは
現在大きな差が開いています。
しかし、一世を風靡しただけのこともあり、
写研の文字には根強い人気がありました。
そこで、モリサワのサブスクサービスで
写研の文字が復活していくことに。
これに大きな期待を寄せている人たちは
少なくないようです。
写研の文字、写研フォントは、
写植時代には特にデザイナーの間で
大流行していたため、
かつては写研の書体が
日本中に溢れていました。
そのため、DTPが主流となっても
その書体にこだわる人も少なくなく、
写研フォントのDTP化を
待ち侘びている人が多かったのです。
2月に、これに関連した
講演会が開かれました。
話をしたのは、阿部卓也氏。
『杉浦康平と写植の時代─光学技術と日本語のデザイン』
という書籍をを書いた、
写植フォントを研究するデザイナーです。
今回、この講演が前後編に渡って
記事となったため、
自分も読むことができました。
文字やフォントに興味のある方には、
一度読んでみてもらいたい内容です。
自分自身、写植文字については、
意外に学ぶ機会がなかったので、
その歴史や経緯を知ることが
できたのはよかったです。
中身も面白かったですが、
特に後編最後の、
質問コーナーも注目。
写研フォントがいいと思うのは、
本当に魅力があると思っているのか、
単なる記憶の美化なのか。
そう言った点にも言及していて、
全体的に納得感の高い講演でした。
みなさんご自身の目で、
確かめていただければ。
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